2022年06月21日

【番外編】動物園・水族館の獣医師に聞いてみた! - どうやって獣医師になったの?- アドベンチャーワールド 獣医師 井上杏菜さん

先月から連載がスタートした本企画では、現役飼育員に取材協力をいただき、現場で働く人の内側に秘めた想いを赤裸々に公開しています。

今月は番外編として、動物園で働く獣医師に焦点を当てました。

今回取材協力をいただいたのは、和歌山県にあるテーマパーク、アドベンチャーワールドの現役獣医師である井上さん。

彼女が獣医師を志したきっかけや経緯、そして今後の目標などについてうかがいました。

井上杏菜

Profile飼育部動物病院課に所属。その他にも、HRチームのサブリーダーやア二マルコレクションプラン(※)、パンダやペンギンの繁殖チームメンバーでもある。最近は、社内英語チームを立ち上げた。さまざまな分野に挑戦しながら、働く現役獣医師。(2022年5月現在)。 (※)園館外の動物の移動を管理するチーム

動物のプロフェッショナルになりたい

ーー獣医師になったきっかけを教えてください。

幼い頃から動物が大好きで、母曰く、こども動物園にいたヤギの飼育をしていたお姉さんに憧れていたようです。

年を重ねるごとに、どうやら「獣医師」という仕事があり、動物園にもいるらしいということを知り、小学校6年生の時に、はじめてお小遣いを貯めて買った漫画が「動物のお医者さん」でした。

その本の影響もあり、獣医師に興味を持つようになりました。

そこから、医者や教員になろうかと悩んだこともありましたが、進路選択をする時に、『自分は何のプロフェッショナルになりたいのか』、『趣味ではなく仕事として自分は誰の役に立ちたいのか』とあらためて考えた時に、やはり小さい頃から憧れていた動物に関わる仕事として獣医師を目指し、動物に関わる方々の役にも立ちたいと考えるようになりました。

なので『動物の治療がしたい』というだけでなく、『動物や動物に関わる方々の役に立ちたい』という想いも強くあります。獣医師として治療をするだけでなく、動物に関するプロフェッショナルになりたいと思っています。

ーー高校生の時に進路を決めたとのことですが、大学はどのように選抜しましたか?

私は化学が苦手だったので、得意教科であった英語・生物を活かして東京農工大学に入学しました。

東京農工大学は名前の通り、農業と工業を専門としている大学のため、家畜などの動物を中心に勉強をしながら、獣医師の観点だけでなく別の視点からも生き物について考えている方々がいる環境下で学びを深めることができました。

ーー大学ではどのようなことを学びましたか?

基本的に獣医師になるための必要な知識は網羅できるような学習内容にはなっています。

基本的な体の仕組みを学ぶ「生理学」の初めての授業で、人間とラッコの腎臓の違いについて、教授が話してくれたことがありました。

基礎として犬や牛、について学び、応用として猫や馬、などの生き物に派生させていくのですが、
その授業では、野生動物にも紐づくような内容が組み込まれており、個人的にとてもうれしかったのを覚えています。

ーーひとくくりに獣医師といっても、さまざまな分類の動物がいるかと思うのですが、ある程度特定した動物の専門を学ぶにはどのようにしたら良いのでしょうか?

高学年になると研究室の所属を決めるタイミングがあるので、自分の進路や得意分野を考慮して、学びたい分野を選択する人が多い印象です。

ただ、希望の研究室が必ずあるわけではないですし、選択した研究室の分野を活用して進路を選択しなければならないという決まりはありません。

あくまでも、最終的には自分の本当にやりたいことを選択することが大切だと思います。

ーー井上さんは何を研究されていたのですか?

私は薬理学という薬について学べる研究室にいました。

特別に薬理学に興味があったというよりは、数学が必要な分野で少し苦手でしたでしたが、その研究室が動物園との共同研究を始めようとしているタイミングだったことを知り、その研究テーマに興味があったので、薬理学の研究室を最終的に選択しました。

研究室では、いろいろな動物園とのつながりや動物園に役立てる研究ができたので、学生でありながら、『動物に関わる方々の役に立ちたい』という想いを少し体感できた貴重な時間でした。

アドベンチャーワールドは楽しかった

ーーアドベンチャーワールドを選択した理由を教えてください

動物園の獣医師は、欠員が出たら募集がされるという仕組みになっていることが多いため、毎年必ず求人が出るとは限りません。

チャンスすらも掴みにくい環境下で、まず募集があるというのが一つの運だと思います。

なので求人が出た動物園はすべて受ける覚悟でいました。

そんな中アドベンチャーワールドには当時総合職としてではありますが、毎年求人募集があるというのを知り、必然的に私の第一条件を満たしている園館でした。

就職活動を始める前までは、関西のパンダのいる動物園ということだけは知っておりましたが、私は関東出身なので、パンダといえば上野動物園というイメージが強く、実際に訪れる機会がありませんでした。

就職活動をきっかけに訪れたアドベンチャーワールドは、園内がきれいで、広々とした空間で動物が飼育されていることに好感を持ちました。

そのほかにも、レストランで食べたオニオオハシ型のタコライスがとてもかわいくて美味しかったですし、お土産物も買って帰りたいと思うようなオリジナルのグッズが揃っていて、とても楽しかったです。

就職活動をしているなかで、各施設において従業員の視点からだけでなく、ゲストの視点に置き換えても良い環境であることから、アドベンチャーワールドだったら、獣医師として動物と関わるだけでなく、もっといろいろなことに挑戦できるのかもしれないと思い、就職を決断しました。

なので、5月末には内定をいただいていたので、他の園館は受けませんでした。

ーーアドベンチャーワールドでは、基本的に総合職での採用だと思うのですが、獣医師免許を持っていたとしても配属される部署は考慮されないのでしょうか?

総合職採用というのは変わらないので、就職できたとしても必ず獣医師として勤務できるわけではありません。

当時言われていたのは、獣医師として勤務することの確約はできないけれども、一例として入社年の10月には飼育部動物病院課に配属になった人もいると伝えられていました。

そのため、いずれは獣医師として働くことはできそうだとは思っていました。

ただ、私は動物や動物に関わる方々の役に立つことの方が重要だったので、動物の治療をすぐにでもやりたいという気持ちはありませんでした。

また学生時代でのアルバイト経験から接客も好きでしたし、自分にもあっていると気づいていたため、動物病院課以外の部署に配属されることに大きな不安はありませんでした。

何かあった時にそばにいる存在

ーー獣医師としてのお仕事内容を教えてください。

基本的には園内で飼育している動物の治療や予防をしています。

治療については、たとえば動物が骨折したり具合が悪くなったりした時の対応をしていますので、想像していただきやすいのではないでしょうか。

アドベンチャーワールドでは、予防の観点に重きを置いている点がペットなどを診ている動物病院との違いだと個人的に考えており、病気や怪我になる前の予防が私たち獣医師の大きな仕事でもあります。

また専門医ではなく、ホームドクターのような位置付けですので、動物に何かあった時にそばにいる存在として動物の健康状態をずっと見守ることができることが、動物や来園者にとっても良いことだと思っています。

ーー飼育部動物病院科では何名が勤務されていますか?

現在は管理職の方も含め現場に4名、補佐のような形でサポートしてくれるスタッフが4名いますので、計8名で勤務しています。

ーー飼育員には担当動物がいますが、獣医師も同じでしょうか?

アドベンチャーワールドではシフト制で勤務しているため、万が一の場合を考慮し、スタッフがすべての動物の治療や予防に関われるように担当動物は設けていません。

急がない治療や手術は得意な人が担当することもありますし、業務内容によっては適した人にお任せすることもありますが、基本的には全員が全ての動物を見られるようにしておこうというスタンスです。

生から死まで寄り添える仕事

ーー井上さんが感じる獣医師の魅力を教えてください。

どんな仕事も捉え方だとは思うのですが、動物園の獣医師は飽きないですね。

私は動物園の獣医師で、ホームドクターのような位置づけで勤務しているので、園内の動物たちの生から死まで寄り添うことのできる仕事だと思っています。

たくさんの動物を飼育しているので、出産もそうですし、起きて欲しくないですけど病気や怪我についても見たこともないような症状もあります。

一人ではどうしようもない時もありますし、ある意味突き詰められないこともありますので、難しい部分やもどかしさを感じることもありますが、ひとつひとつの命から日々学ばさせてもらっています。

ーー獣医師のやりがいを教えてください。

手術や治療に関してできるようになることが増えると成長を感じられますし、役に立てることが増えたと思います。

それとともに飼育員と一緒に、『このようにしたらもっと病気や怪我の予防ができるのではないか』、『動物の死亡率を減らせるのではないか』など、動物に対して私たちに何ができるのかを考え挑戦した結果が出た時はうれしいですね。

最近でいうと、キリンの採血に挑戦していました。

キリンは首から採血を行うのですが、体の大きな動物なので、キリンに首を下げてもらわないと血を採取することができません。

なので、キリンが首を下げて針が刺さる時の痛みを嫌がらず静止してもらうというトレーニングを飼育員と一緒に練習してもらっていました。

私自身もキリンに慣れてもらうために、餌をあげたり触れ合ったりしながらコミュニケーションをとっていた結果、キリンの採血ができるようになりました。

このように、今までできなかったことができるようになった瞬間や挑戦してきたことに対して結果が出た時はやってよかったなと思います。

マニュアルのない世界

ーー獣医師としての大変な部分を教えてください。

教科書がない世界なので、大変と言いますか、試行錯誤しないといけない部分だなとは感じています。

解剖してみてはじめて、『こんなところにこんな臓器があるんだ』と思うこともありますし、見たことのない病気もありますし、犬や猫だとできるのに、動物によっては体が大きかったり、小さすぎたりして検査ができないということもあります。

すべての医療の基準はまずは人間であり、その応用をペットや家畜に適用しているなかで、野生動物はさらに応用して活用する必要があります。

園内に動物病院があるので、基本的にはそこで治療や手術をしますが、時には適した機材がなかったり、検査ができないこともあります。

また、専門的な検査や治療、手術が必要だと判断した場合は、搬送できる動物にも限りがありますが、外部の動物病院に連れて行くこともあります。

マニュアルがないため、悩むことはありますが、機材を手作りしたり、飼育員と一緒にトレーニングをしてもらったりしながら、できる治療はないかと考えています。

大変な部分ではありますが、何もできないと思考を止めることはないですね。

ーー現状に満足せず、いろんなことに挑戦し続けるモチベーションはどのように保っていますか?

『やってみたい』というシンプルな気持ちが強いです。

新型コロナウイルスが流行し始めた時、一時期閉園していたためゲストに来園して楽しんでいただくことができず悩んだ時期があったのですが、『私は何がしたかったんだっけ?』と自分を見つめ直し、気持ちの整理をしたことがあります。

『獣医師として命を救いたい』、『動物たちをなるべく良い環境で飼育したい』というのもありますし、そういう背景を来園者の方々にも発信していきたいですし、できればそのメッセージを受け取ってくれる人が増えたら良いなと考えています。

人や動物、環境などの自分以外の存在に対して、ほんの少しでも良いからみんなが思いやりを持って生きていける社会を作りたくて、自分のことも大切にしつつ、自分以外の命を思いやる気持ちを育むきっかけにアドベンチャーワールドがなれればうれしいです。

なので、挑戦したいことがあるというのが私のモチベーションになっているのかもしれません。

ーー獣医師として働くうえで、難しいと思うことはありますか?

動物の一番近くにいるのは飼育員なので、私たち獣医師は動物に嫌われることも多いです。
ただ、いろんな動物や飼育員と関わることで、客観的に動物を観察できますし、視野が広がる部分もあります。

たとえば、アシカのトレーニングがライオンにも応用できるのではないかと提案することもできますし、そういった意味で人と動物をつなげる役割にもなっているのかなと思います。

日本の動物園の発展と強み

ーー今後やってみたいことを教えてください。

大きく分けると2つあります。

1つ目は海外とのつながりを増やして、日本の動物園を発展させていきたいです。

その初めの試みとして、社内で英語チームを立ち上げました。

新型コロナウイルスの影響を受け、海外からの来園者は減りましたが、それを準備期間であるとプラスに捉え、園内の掲示板に英語表記を増やしています。

いずれかは、英語でSNSを発信することで、世界に動物たちについて発信したいと考えています。

また、海外にも素晴らしい動物園がたくさんありますので、海外の動物園を参考にしたり、世界とのつながりを増やし、良いインスピレーションを受けることで、日本の動物園を発展させていきたいです。

ーー海外から受けたインスピレーションを、日本の強みとしてどのように生かしていきたいと考えていますか?

海外と比較して日本の動物園や水族館は私たちの身近にあるという点が良い点だと個人的に思っています。

すごく印象的だったできごとが、パンダの取材で来られた中国の方が、『パンダを初めて見た』とおっしゃっていた時は、とても驚きました。

私たちからしたら、パンダといえば中国というイメージですが、その方はそもそもパンダを見られる環境が近くになかったようです。

メリットデメリットはあるものの、日本にはたくさんの動物園や水族館があり、なおかつ身近な場所に存在しています。

なので、日本に生息していない動物もふくめ、比較的身近に観察することができるのは、世界で見てもメリットであると考えています。

また、アドベンチャーワールドの強みとしては、白浜町という観光地の中にあることで、幅広い世代の方が来園してくれることにあると思います。

たとえば、動物が好きなお孫さんと一緒にきてくださるご高齢の方、海水浴に来たけれども天気が悪かった方など、本来の目的ではなくても観光やレジャーの延長線上にアドベンチャーワールドという選択肢があることは、メリットだと思います。

未来も動物や動物に関わる方々の役に立つために

ーー2つ目を教えてください。

2つ目は、園内には、治療室の隣にできたばかりのラボがあるので、そこでの活動を積極的に行なっていきたいと思っています。

先ほども獣医師は飽きないと言いましたが、動物園動物の治療を突き詰めるには私があと何十年働いたとしても追いつかないくらいの時間と技術が必要です。

なので私が働ける限られた時間の中で、経験したことをまとめて形として残し、次の世代につなぐことができれば、得た知識や経験は受け継がれて良い方向へむかっていくだろうという希望も込めています。

そのためにも、卒業した大学の研究室に大学院生として入り、大学生や教授と共同研究を行っています。

与えてもらう側から与える側となり、現在だけでなく未来も動物や動物に関わる方々の役に立てたらと思っています。

ーーどんなふうにデータを残していくのでしょうか?

データの基本となるのは、きちんとカルテを書くことだとは思いますが、学術的な部分は論文が一番広く情報を伝えることができると思います。

ほかにも世界の動物園の個体情報をまとめている団体があるので、そこにも情報を残すことで動物の血統管理や海外との動物を移動を考えるに活用できると思っています。

動物園での思い出を日常に重ねてほしい

ーー来館者の方に伝えたいことはありますか?

欲を言えば、「楽しい」だけでなく、さらにプラスな感情を持っていただけたらうれしいです。

動物に対して、「怖い」や「苦手」と抱く感情もマイナスではなくて、必要な気持ちだと思うんです。

動物を見て触れて生まれた感情はすべて大事にしてほしいですし、アドベンチャーワールドの中だけの世界だとは思わず、できれば自分の世界に組み込んでみてほしいです。

なんでも良くて、たとえばパンダの親子を見て、自分の親や子供を大切に思う気持ちとか、アドベンチャーワールドの思い出をゲストの方の日常に重ねて貰えばうれしいです。

知識はあなただけの未来を見せてくれる糧になる

ーー獣医師を目指す方へ

私はいろんなことに挑戦することが好きなのですが、その中心となっているのが「自分が獣医師であること」に変わりはありません。

自分の中で何かを大事にしたい気持ちとか、極めていきたいものをもっておくと、私はすごく生きやすいと思います。

自分の好きなものや、大事にしたいもの、守りたいものが一つ中心にあると、自分を支えてくれる軸になって、自分自身を支えてくれるのではないかと思います。

私が幼いころ、家畜を診ながら野生動物の獣医師をされている先生が「子ぎつねヘレンがのこしたもの 」という本を出版されていて、そのサイン会に訪れた際に、『私も獣医師になりたいんです。どうしたら良いですか』と尋ねたことがあります。

するとその先生から『なりたい気持ちを忘れないこと。あとは人よりもちょっと多く勉強すること』という言葉をいただきました。

その言葉がすごく心に刺さったのを覚えています。

獣医師になるためには、学ばなければいけないこともたくさんありますし、勉強ばかりの人生にはなるのですが、その先には楽しいことがたくさんあります。

さらに学んだことが無駄にならない世界です。

大学在学中に、排水処理の授業があって『こんなこと絶対使わないだろうな』と思っていたのですが、園内の排水処理場に行った時に当時学んだことがつながったので、どんな知識も本当に無駄にならないんだと衝撃を覚えました。

勉強は大変だし、挫けそうになることもあるかと思うのですが、学んだことは必ず自分の糧になって、あなただけの未来を見せてくれると思います。

WRITER PROFILE

Matsuda Natsuki まつだ なつき

ドルフィントレーナー専門学校を卒業後、ダイビングインストラクターや船舶の仕事に関わる。全国の水族館や動物園だけでなく、野生の生き物に会いに行くのも趣味。「地球に生まれた全ての生き物が、HAPPYで愛あふれる未来に生きたい」と願い文字を綴る。